こないだ、上司との面談で「○○さん、自分の考えてることをみんなに発信するの、苦手なのかと思ってたけど、やってなかっただけで、出来るんだね」と言われました。
これは自分でも自覚してることで、この数ヶ月ほどで、言いたいことが言えるように、というか、言いたいことは遠慮せずに言うようになりました。仕事の場では、ですが。
理由は、分かりやすく言えば、32歳も半ばを過ぎて「わきまえない女」になってきたからです。言いたいことを言うことで、周りからどう思われるか気にしなくなったし、言いたいことは言わないと損だと思うようになりました。
恥ずかしながら私は、結婚してからも、そして子供が生まれてからも、男性から「女の子」として見られることに価値を見いだしてしまっていたのだと思います。
ドラマの「やまとなでしこ」で主人公のさくらこさんの「女が一番高く売れるのは27歳」ってセリフがあります。確かにそれくらいって、たぶん外面的なことだけで言ったら、人生で一番綺麗な気がします。
私の狭い観測範囲(会社)では、この27,28,29くらいの女の子達は、外面的な面だけじゃなく、仕事は自立して出来るようになって、お金もあって、自由で、輝いて見えます。
私はこの27~29の時期は妊娠、出産、育休時期でした。言うなれば、自分が一番、世間の言う美しい女性から遠い所にいた時期です。仕事で成果をあげて輝くことも、お洒落する余裕もありませんでした。
なので、育休を終えて職場に復帰した時、同期が仕事ですごい活躍してたり、後輩の女の子達がすごい綺麗で自信溢れる感じに成長していたりしたことに、とても戸惑い、ちょっと羨ましくもなりました。
妊娠した時に上司の厚意で仕事のポジションや負担を軽いものにしてもらってたので、「妊娠せずにあのまま仕事を続けていたら、私も東京の街で働く素敵な女の子でいられたんだろうか」なんて思ったりもしてました。
25で結婚して東京に異動してきて、(新卒3年目までは地方配属でした)25,26と仕事がとても忙しくて、そこから抜け出したくて子供を作った面もあるのに、抜け出したら抜け出したで戻りたくなるなんて、ほんとに無い物ねだりです。
女の人は妊娠したときから母親、父親は生まれた後から時間をかけて~とか言いますが、私にはそれは違うように思えます。
出産が私を母親にしたのではなくて、そこから積み上げてきた子供との時間が、女の子だった私を母親にしてくれました。そして、出産から4年近くが経ってようやく、私は完全に「女の子」から抜けきれた気がします。
女の子から脱け出すとは、男の人から異性として見られる客体としての自分を意識しなくなるということです。妊娠するまでは、浮気とかじゃなくても、やっぱりそういう面で「女の子」として見られたい、扱われたい、というのがありました。
33歳も近づいてきて物理的にもう無理だろうというのと、母親になったことで、男性から女の子として見られることに価値を感じる必要がなくなったんだと思います。
もし私が結婚、出産していなかったら、「女の子」じゃなくなったあと、自分で自分の価値をどう見いだすかにとても苦しんでいたと思います。20代の私は、男性にどう見られるかに自分の価値を見出だしすぎていました。
子供が生まれる前、男の人がいてもずばずば物を言う同期の女性に「もっとうまく言って、男性の言うことはあまり否定せずに、かわいげあるように振る舞えばいいのに。」と思ってました。
男性が考える「可愛い女の子」を内面化して、そう振る舞った方が何事もうまく行くと思ってたのです。そして、自分自身が望んでそうしているのだと思っていましたが、今思えば、男性が多い職場でいかに可愛がられて働くか、職場で若い女の子としての自分の価値をいかに最大化するか、という生存戦略だったのだと思います。
今は、そんな風にして「女の子」としての自分に価値を見出ださなくても大丈夫になりました。結婚していなくても、子供がいなくても、他人の目ではなくて自分自身で自分の価値を認められるようになるのが一番だと思いますが、たぶん自分にはそんな強さはなかったと思います。
結婚したことが、出産したことが、男性から見られる「女の子」としての生きづらさから私を救いだして自由にしてくれました。
冒頭の面談で、私の「わきまえない女」発言にひとしきり笑ったあと、上司が「40代はもっと言いたいこと言えるようになって、楽になるよ」と言いました。
前までなんとなくあった、「女の子」でなくなることに対する未練は今はもうありません。