machicox’s blog

平穏無事に暮らしたい

主人公は君。

引越してから1ヶ月、子供が小学校に入学してから2週間が経ちました。

 

いやはや、1年生って可愛いですね。新しいことにワクワクテカテカしながら毎日頑張ってるみたいです。

 

4月1日にはじめて学童に行った時には、子供が帰りの準備してる間にスタッフさんに「やっぱり知ってる子がいないから、集中して遊べないみたいで、ふらふらしてる時間もありました。早く友達できるといいですね。」とか言われたんですけど、準備が終わってテクテクこっちに来たら、子供は開口一番小さい声で、「楽しかったよ。友達たくさんできたよ。」なんて言うもんだから、泣きそうでした。

 

私はあの時の子供の顔と声、一生忘れないと思います。

 

その日はズーンと落ち込んで、やっぱり引越しない方が良かったかなぁとか、いやでもあの家にずっと住み続けるのは無理があったし前の学区内でいい賃貸マンション探すのも難しかったでしょとか、悶々と考えてしまいました。

 

浅はかな私は子供の様子を見て「強がってるなぁ」としか思わなかったんですけど、次の日会社の後輩に話したら「きっとママが心配しないように、そう言おうって決めてたんですね」って言われて、ハッとしました。

 

自分をよく見せたくて強がってる、としか思ってなかったです。真相は分からないけど、十分考えられる。

 

なんにせよ、子供のこと、子供扱いして見くびりすぎだと反省しました。

 

子供の権利条約の考え方の元になったコルチャック先生は(年少まで子供の保育園の園長だった人がこのコルチャック先生をとても尊敬していて、私もこの人のこと知りました)こんな風に言っています。

 

子どもの自治を大人が尊重すること、子どもは大人と同じように、自分の考えと判断を持っていること、そしてその判断をサポートすること、信頼することが大人の役割

 

こないだ保護者会の後に、一人でせっせっと竹馬の練習してる様子を見つけてしまって、(女の子は一輪車、男の子はボール遊びに夢中の子が多かったです。遊びの輪にすっと入るのはやっぱり下手なんだろうな。。。)またちょっと落ち込んだんですけど、その後、すれ違ったクラスの子には元気にバイバイしてたしなにやら花壇を覗きこんでる子達に「芋虫いるよ!」って話しかけられてたし、先回りして勝手に親が落ち込んで心配するのは辞めよう。

 

なにより当の子供本人は、やっぱり引続き、友達ってものに対してポジティブで、学童のイベントなんかもなんでも行きたいって言います。(週2で行ってる民間学童の、泊まりのキャンプイベントも行きたがってびっくり。運動会と被って行けないんだけど。私だったら小1の時ですら行きたいなんて絶対言わない。)そんなとこに親が勝手にあれこれネガティブなこと考えてたら子供も無意識にそれを感じ取ってそっちに引っ張られてしまうよね。そんなのダメ、絶対。

 

今はただ、「友達とたくさん遊びたい!」「遊ぶの楽しい!」っていう子供の気持ちを、曇りのない心でサポートしていきたいと思います。

 

いつもでそんなこと気にしてるのさ

3月、子供が保育園の友達と思い出をたくさん作れるように、ママも頑張りました。。。

 

卒園式のあとの懇親会に参加して、保育園帰り夕方の公園遊びに友達を誘って(なんと、この私が、頑張ってその子のママにLINEしました)、昨日もみんなでの大騒ぎの公園遊びに付き合って。

 

なにを頑張ったかって、お友達のママ達との会話だよー!辛かったー!

 

ああいう時、ふと一人になったとき、普通の人はすっとみんなの会話の中に入っていくんですね。ってか、一人ぽつんとしないようにじりじりすっと会話の輪に近づいていくんですね。昨日気付いた。

 

私はそれが出来ないので、概ね一人ぽつんとしています。一人ぽつんとすることに抵抗がないので、私が一人ぽつんなことは別にいのですが。

 

何が辛いかって、ママさんたち年齢もタイプもバラバラで、学生時代はカースト上位にいたんだろうなっていう人は、やっぱり地味なママには話しかけないんだな、ってことがよく見えてしまうから。。。

 

そして私みたいに概ね一人ぽつんとしている人にも話しかけてこないよね!そりゃそうだよね!

 

1対1では普通に話すのに大所帯になると素っ気ない人とか、私に話しかけてきたのに会話の輪ができるとすっと私から離れてそっちに入る人もいたりするんで、なんかもうなんだかなぁですよ。

 

いまさらそれがどうとか、そういうところで上手く振る舞えるようになりたいとか、思わないです。

 

育休から復職してからは会社の飲み会も一切行ってないし、職場でも無害なおばさんとして振る舞ってるし、やっと30半ばになって人間関係の煩わしさから解放されたと思っていたのに、なんか今まで散々みじめな思いをしてきたそういうやつに、また遭遇してうんざりです。

 

そういうのに遭遇すると若い時の古傷がえぐられてしばらく悶々としちゃうし。死ぬほどある、集団の中で上手く振る舞えなかった数々の記憶が呼び覚まされてしまうのです。

 

もうそんな下らないことからは解放されて、大事に思える人とは心を込めて付き合って、あとはもうなんでもいいと思って気楽に過ごそうとしてるのに、今まで散々自分を苦しめてきた、人の醜い部分(自分の損になりそうな人とは付き合わない。)に、また「やぁこんにちは。元気にしてた?俺はこの年になってもまだまだ健在だぜ。」ってひょっこり再会しちゃった感じです。

 

親に似て子供も、みんなで遊んでるときにみんなの輪に入りそびれがちだったり、器用に振る舞えてないから、なんか「お前もか、ブルータス」って思って、それも心の悶々の原因です。

 

でもでも、子供は私と違うし、先回りして余計な心配したり、勝手に落ち込んだりするのは大きな間違いだよね。あと、保育園のママ友なんて後腐れないし、(引っ越したから余計に)子供には私の心労なんて関係ないし、子供は4月以降も休みの日に友達と遊びたいようなので、なりふり構わずに頑張って連絡してみます。

 

もしかしたら私に似てなかなか上手に人間関係を築けないタイプなのかもしれないけど、少なくともこの6年間の経験は私の子供時代とは全く違うから(私は幼稚園楽しくなかったし、みんなで公園で夢中で遊ぶこともなかった)、「この子も私と同じように、友達の少ない人生を歩むんだろうな」って勝手に悲観して可能性を狭めることのないよう、精進いたします。。。

 

 

切ないのは大人だけ。

3月後半は怒涛の日々でしたが、引越も無事終わり、昨日は子供の保育園最終登園日。

 

最後、担任の先生二人にちゃんとお礼と挨拶しようと言ってるのに、子供は早くみんなと公園で遊びたいから遠くから大きい声で「ありがとうございました!」ってだけ言ってみんなで公園へ駆けていきました。

 

そんで暗くなるまでたっぷりとみんなで遊んで、あっさりお別れ。

 

卒園式の時も昨日も、名残惜しいのも泣いてるのも大人だけ。

 

なんの垣根もわだかりもなく、笑ったり喧嘩したりころころと表情を変えながら、友達と遊べるこの時間が、人生の中でとても短くて、とても尊くて、かけがえのないものだと子供たちはまだ知らないから。

 

子供の保育園は1学年が10〜15人で1クラスだけ。そのうち半分は0歳から、三分の一は1歳から入園してます。

 

5年以上、平日は毎日朝から晩まで、みんなで遊んで、ご飯食べて、昼寝して。ほんとにみんな仲良しです。男の子と女の子に分かれることも、仲良しグループもありません。

 

この保育園に通ったこと。兄弟みたいに一緒に育った友達がたくさんいること。パパママの他に、6年間ずっと自分の成長を見守り、喜び、たくさんの愛情を注いでくれた人たちがいること。

 

この事はきっと、子供のこれからの人生の大きな財産になると思います。

 

小学校の6年間も、毎日がきらきらと輝いて、かけがえのない6年間になりますように。

しみじみ噛み締め日曜日

今週末はいよいよ子供の卒園式。

そしてその2週間後は引越。

 

やることてんこ盛りです。

 

そんな中日曜日は、引越荷物に入れられない、子供が前に作ったなんちゃって鉄道ジオラマを運びに3人で新居へ。(引越はまだ先だけど契約は済んで鍵ももらってる)

 

3人で行くことになるまで紆余曲折あったんだけど、新しく買って届けてもらった椅子を、旦那と子供が2人でえっさほいさと組み立ててるところが最高に微笑ましかったので、紆余曲折ありながら3人で行ってよかったです。

 

あとあれですね。行く途中、子供が逆剥けから流血しちゃったんですけど、旦那がコンビニで絆創膏買っていそいそと子供の指に貼ってたのもとても良かったです。私は大荷物持ってお店に入るのもあれだったので「私は外で荷物見てるわー。」と言ってぼーっと突っ立ってました。

 

こういう風にてきぱき動けるところほんとにえらいなと思います。そりゃあ私の、だらだらだらしなくてがさつなところ嫌だろうな。

 

旦那の嫌いなところにばかり目を向けがちですが、このてきぱき働きものなところとか、他にも好きなところはいっぱいあるし、やっぱりこの人と結婚してよかったなとしみじみ思うのでした。

さくらのはなびらまうころは

4月から子供はぴかぴかの1年生です。

 

この間書いた通り、入学に合わせて3月下旬に同じ区内で引っ越し予定でして、11月下旬から引越し先(賃貸)を探し始めて、先行申込やらなんやらあって、やっとやっと、先週末に引越し先の入居日を迎えました。

 

1か月以上家賃2重払いになっちゃうけど、それははじめから諦めてました。学童の申込みとかがあるので、3月入居の部屋が出てくる時期まで待ってるわけにもいかず。1月に入ると不動産屋も繁忙期だし物件も争奪戦になるので、12月末退去の部屋に先行申込しました。

 

その部屋に引越す心づもりで学童の申込みもしたけど、実際に内見、契約、できたのは年明け以降でした。(可能性はほとんどないけど)もし内見、契約、までうまく進まなかった場合1月とか2月になって3月中に入居できる引越し先探すのは困難を極めるだろうし、最悪、引越もできない学童も入れないという事態も考えられなくはないので、11月末に申込み、審査が完了してから実際に前の住人が退去〜内見〜契約が終わるまで、生きた心地がしませんでした。。。

 

軽い気持ちで「子供が小学校に上がるタイミングで引っ越そう」と思ってたけど、こんな綱渡りで緊張感が漂う事態になるとは想像してませんでした。

 

公立学童の申込み(12月)に間に合わないことを見越して去年の春の時点で私立の学童の予約申込みしてて、その私立学童の送迎がある小学校(いくつかあった)の学区、かつ、ハザードマップ上区内では安全な方、とかでぎゅっと範囲を絞って引越し先を探してました。

 

12月、1月は「11月下旬から3月の引越し先探しとか早すぎかな」と思ったり、1月以降によさげな物件が出てくるのを見て「もっと待ってから物件決めればよかった」とか、先行申込の生殺し状態がどうにも耐え難くて「こんな早々に先行申込しなければよかった」とか思ってました。でも終わってみれば、やっぱり1月以降の部屋探しは現実的じゃなかったし、都内の2LDKのいい物件って先行申込が当たり前みたいだし、この形でよかったんだと思います。

 

早く物件に申し込んだので公立学童の申込みにも間に合って(昨日、利用承諾の通知も来ました)引越も繁忙期に安めで希望の日に予約できて、やっとやっと4月からの生活の大枠が決まりました。

 

長かった。。。長かったよ、ここまで。。。

 

引越まであと1ヶ月ちょっと。子供の入学準備もあるのでてんてこまいですが、新生活に胸膨らませながら頑張りたいと思います。

結局はそういうことなのね。

先々週から子供がインフルエンザ(1かつき半ぶり今年2回め)になって、熱が下がったと思いきやそのまま中耳炎になって、やっと一昨日から保育園に復帰しました。

 

まるまる1週間家に籠もっていたので、親からあれこれ言われることも多く(特に旦那は言い方が冷たいので。これ一生治らないのかな。まじで人になんか言ってる時の自分の顔と声、動画で一度見てみてほしいわ。ほんとに人の自尊心削る顔と口調だから。自分じゃそんなつもりないんだろうけど。)金曜日の朝にふとしたことで「なんでパパとママ、最近言い方が強いの」とめそめそ泣いておりまして、私も大いに反省しました。

 

毎日テレビ見て漫画読んでプラレールやるだけで、親は仕事なので、いつも通りにしてても、小言言われる割合が多かったんだね。笑い合ったり、褒められたり、そんな瞬間がほぼなかったから。

 

金曜日に保育園のお迎えの時に、「今回はうつらないでよかったです。頭逆にして寝てたんで。子供がそうしようって提案してくれたんですよ」って先生に話したら、いつも通り「わぁ。◯◯くんのナイスアイデアのおかげで、ママにうつらなかったんだねー。よかったねー。」って女神の笑顔で子供を大げさなくらい褒めてくれて、子供もすごい嬉しそうでした。この先生は、多分普段からいつもこんな風に、子供の頑張ったところとかいいところを見逃さなないでいちいち愛情100%で褒めてくれてるんです。

 

保育園行かないと、先生からの褒められもないので、そりゃあまぁ、自尊心も下がりに下がって、めそめそしちゃうよね。かりかり仕事してる横で1日中テレビ見て漫画読んでプラレールしてる子供に掛ける言葉って、どうしたって小言が多くなっちゃうし。

 

昨日は、午前中に子供とパパで出かけて、私の誕生日プレゼント買ってきてくれて、午後にサプライズで渡してくれました。渡すためのサプライズも用意してくれて、(私が子どもの誕生日にやりたかった、棚の扉をチェーン錠でロックして、たくさんの風船を割るとその鍵の番号が出てくるってやつ。)そのプレゼントを選んだ理由も意気揚々と話してくれて、私がハグしながら「ママ何が嬉しいかなっていっぱい考えて選んで準備してくれたんだね。ありがとう。とってもうれしい。」って伝えたらとってもいい顔してました。

 

最近、外国にルーツがある移民の子たちの学習支援教室で長期間ボランティアしたジャーナリストの人のルポ読んでたんですけど、子供って、言葉が分からない、伝わらない、勉強ができない、ってただその一点でもう縮こまっちゃうんだけど、逆に少しでも言葉や勉強が大丈夫になれば、そこからどんどん自信を付けて走り出せるんです。

 

それは移民の子に限った話じゃなく、大人にとっては些細なことに思えても、毎日小さな「できた」「喜んでもらえた」「役に立てた」「伝わった」「聞いてもらえた」の実感を積み重ねることで、子供は安心してのびのび生きていけるんだな、と今回の子供を見てて思いました。

 

っていうか、これって大人も一緒ですね。大人は子供みたいによしよしはしてもらえないから、お互いに相手を尊重して気持ちを伝えあえる人間関係を自分で作らないと、自尊心もクソもないですね。

 

まずは一番近くて大事な人間関係、子供と旦那に対して、ちゃんと相手のことを見て、言葉を聞いて、プラスの気持ちをちゃんと伝えていかないと。そしてプラスの気持ちが自然に生まれるように、楽しくて豊かな暮らしになるようにママ頑張ります。。。

私、なめれられがちな人生なので。

1月に責任者人事がありまして、課長だった人が部長になったので新しい課長が来ました。

 

先週は年始のばたばたやら色々でほとんど仕事の話はできなかったので、いよいよ今週から実務面での打ち合わせをちょろちょろしています。

 

しょうがないっていうか、それが新しく来た人のあるべき姿なんだろうけど、散々これまで私が検討した結果のことに対してあれやこれや言われるのでなんだか結構傷ついています。

 

私だってこれがベストだとは思ってないし、やりたくてやってるわけじゃないけど、いろいろな方面からいろいろ言われて、反発があるのも覚悟して、それでもやろうって頑張ってきたことなのに、それを「もっと打つ手がないか検討して」とか「これじゃ反発されると思う」とか言われましても。

 

打つ手を検討して検討して、何もできないことが分かったから(お金も出してもらえないし他の人に協力もしてもらえないのが分かった)自分が嫌われ役になってこれをやるしかないって覚悟して出したものなのに、それをあたかも、私が一人で我儘言って他の人のことをよく考えずに反発されるようなものを安易に出したように言われて(そしてきっとそう思われてる)ほんとうに傷つきました。

 

なんかもう全てが嫌になる。

 

なんで誰にも望まれてないし喜ばれてもないし必要だとも思われてない仕事を孤独に一人黙々とやって、それに対して何も分かってないやつに好き勝手言われなきゃいけないんだろうか。

 

この課長の1件に限らず、なんだか「私の仕事って軽んじられてるな」と思うことが多くて頑張ってるのが虚しくなります。結局、「誰も私のことなんて見てくれてないし尊重してくれない」、ってそういう問題なんですけど。。。

 

ミドサーのおばさんになっても、こんなことで傷ついてるなんておかしいですね。おかしくはないのか。

 

傷ついてたって、他人や環境は自分で簡単にどうこうできるものではないので、せいぜい「私、自分が軽んじられてると感じて傷ついてるんだな」と自覚して、自分は人を尊重できるように気をつけて、仕事にはそんなに入れ込まないようにしたいと思います。もらえるお金が大して変わるわけじゃないんだし。

 

私は自分の時間を削ってお金に換金してるだけ。そこに何か大層なものを見出そうとしたり心囚われちゃいけないよ。