machicox’s blog

平穏無事に暮らしたい

早く大きくなって。私の手を離れて。

子供が昨日の夜から目がなんたらかんたらと言ってるんだけど、それがホントなのか仮病なのか分からなくて(仮病かもと思う理由はいくつかあります。はなから疑ってる訳じゃないよ。)でも目の見え方って本人以外には分からないし5歳の言うことだし万が一なんかあったら大変なので明日の夕方に眼科に行くことにしました。

前も同じことがあって、その時は眼底検査までして、「何も無いですよ」ってことだったんだけど、その時なんだかんだで保育園休んだから、その記憶があって甘えたいとか気を引きたいとかそんな気持もあるのかも。

仮病にしても、ホントに不調なのだとしても、子供がなんか言ってるのは事実でそこには何かしらそう原因があるので無視はできないよな。

けど、けど、子供のその一言で今朝の私はメタメタに掻き乱されました。「仮病の可能性が高い気がする。でもここで病院連れてかなくて先々なんかあったら後悔するよな。でも眼科混んでるから連れてくの大変なんだよな。そもそも働いてなければこんなことで悩まないし。」とかぐるぐる考えて、その間にも近くの眼科いくつかの診療時間とか混んでる時間とかクチコミ調べて。段々そんな私の横でだらだらいつもと変わらない様子でテレビ見てる子供に腹が立ってきて「軽い気持で目がうんたらかんたらとか言わないでよ。そのせいでどんだけこっちがアタフタしてると思ってんのよ」とか思って、そんな自分のだめ親具合に自己嫌悪に陥って。

なんでこんなに心が掻き乱されるかというと、子供の言葉を受けてここでどう動くか、私の判断にのしかかるものの重さに潰されそうだからです。

私が子供の訴えを軽く受け流すことが、受診が1日遅れることが、何かこの子の将来によくない事を起こすかもしれない。

勉強とか人としての成長だったら、決定的なものじゃなければ、大人になってからでももう少し大きくなってからでも、子供自身の意志や努力で取り戻せます。

でも体の健康のことはそうは行かない。親の判断に子供の運命が委ねられてるけど、その判断の結果が悪いものであっと時に、その苦しみや痛みを親が代わってあげることができないんです。

 

これが旦那だったら、自分の体の事は自分でコントロールできるし私が負わなきゃいけない責任なんてないんだけど。

 

子育てについて、一番辛いというか酷なのはこの部分だなといつも思います。私が2人目の子供が欲しいという気持にならないのも、これが大きいです。

 

こんな切実さや酷なこと、2つも背負いきれません。

 

子供が大きくなるのは寂しいけれど、私の手が届かないところでしっかり自立するようになってくれたら、それはそれで安心だな、と思います。